- 避難が遅れて多くの人が犠牲になった大川小学校の事例は人災だったのか?
- という話題を2chスレからまとめました。
- これについてスレ内では…
- 整備された道があるならともかく走って山登れは無理、誰か一人でもコケて怪我したら賠償数億だ
- 何か問題が起きたときに咄嗟に対応するのは無理、学校側を責められんわ
- 2万人が判断ミスって死んだような想定外の事態で、先生だけ死んでも叩かれるのはおかしい
以下、「命を守るための避難行動」に関する様々な情報を集めてみましたので紹介します
- 【目次】
- 只今の注目記事!
地震が起きた時に身を守る行動
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ただちに避難する
地震が発生したら、直ちに避難することが大切です。建物の中にいる場合は落ち着いて、机の下に隠れるか、壁際や柱の近くに移動し、頭部を守るようにしましょう。建物の外にいる場合は、周りに落ちない物がない場所に避難し、建物や電柱などから距離をとるようにしましょう。電気や火気を消す
地震が起きた場合は、火災の原因となる電気やガスをすぐに止め、火気を消すようにしましょう。情報を確認
ラジオやテレビ、ネットなどで情報を確認しましょう。地震の情報や避難勧告などが流れている場合は、適切な行動を取るようにしましょう。安否確認をする
地震が起きた後は、周りの人々の安否を確認するようにしましょう。特に、高齢者や子供、障がい者など、周りの人々の安全を確保することが大切です。防災グッズを備える
日本ではどこにでも地震が起こり得るので、防災グッズを備えておくことが大切です。数日分の非常食や飲料水、懐中電灯、ラジオ、衣類などを備えておくようにしましょう。また、インフラが遮断されると電子決済が行えない可能性もあるので現金が役に立つ可能性も考えられます。 【悲報】津波で84人が亡くなった大川小学校さん、12年経った今でも叩かれ続けてしまう・・・・
元スレ https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1678470333/

誰か一人でもコケて頭打ったら賠償数億や
ワイだったら大人の言うことを盲信して死んどる
先生の言う事聞いた人たちはどこに避難したんや?
校庭に集まってたら飲まれた
マニュアルに背くくらいなら全員道連れに死んだほうがマシだったんや
マニュアルには校庭が基本なのかねー?
土地によってそんなの異なるやろって教訓になったな
犠牲が多すぎたが
避難訓練で屋上に逃げるとか裏山に逃げるとかやったことあるとこないんじゃね
ワイが小学生のときにやった避難訓練は机の下に隠れてから校庭に集合して終わりやったで
津波警戒区域でその訓練はアホやろw
想定災害が地震ならそれで良いやろ
わざわざ低い場所に集合するマヌケwww
津波じゃなくて土砂崩れが起きてたら死んでたのは言うこと聞かなかったそいつらだよ
いや津波警報出てたやん
雨降ってないのになんで土砂崩れ??
雨降ってなくても地震動で土砂崩れは起きるけど…w
お前のこと周りは頭悪いって思ってるぞ
教員もなくなってるから保護者の間でも意見割れとる
自分の車捨てる事ができずに死んだ奴
自分の考えで生き抜く事が大事やな
なんかね、最初はみんな危機感全然持ってなかったらしい
気付いた時にはもう手遅れで…
まあいくら津波警戒区域だからってねえ
ここまでのが来るとは誰も思うまい



川沿い海沿いには家作らんほうがええで
川近いとか普通に想定の範囲内やろ
これ教訓にすべきだけど津波は川をさかのぼって来るんだよな
川の近くだとかなり内陸にいても津波が襲ってくる
昔から教訓にされてた定期
学校側を責められんわ
あの状況じゃしゃあないし返ってくるわけじゃないしって人らもおるっぽい
殴るべきサンドバッグがないからひたすら理不尽でやるせなくなる
なんやそれ知らん
大川小学校 教室 遠藤って調べたら出てきたで
最初の証言では平地に逃げていく先生らに痺れ切らして勝手に山に登って生徒にこっち来いって叫んだっていってたのにそのあと津波が怖くなって生徒1人と山に登ったっていうようになったらしい
そんなの誰でも病むわな
生き残りの生徒と近隣住民はみんな生き残りの教師が山で生徒を呼んでたっていってるしそっちがほんまなんやろな
この教師は石巻の職員に囲まれてて遺族にも会えんらしいけど
学校側クソすぎて胸糞🥺
>学校や教育委員会の過失とみなされるような証拠を隠蔽したのである。メモを廃棄した指導主事は翌年、小学校の校長に昇進した。「組織を守るために力を尽くした」ということなのだろう
インパール後に昇進した牟田口廉也を彷彿とさせる
つかよくしれっと受けられるな
普通辞退するだろ
なんつーか教師の人間性の欠落?そういうのが事件を引き起こした側面も有るのかもしれないな
教育関係者なんてそんなもんよ
保身しか頭にない
すべてが結果論や
津波警報知ってて校庭に待機させとる
正直そんな体制整えるよりヤバそうな地震が来たらすぐ逃げるを徹底させたほうがええと思う
裏山無理やんけ
別のとこいどうしよう
って話やろ
しゃあないやん
そないな責めなくたってええやん
生き残った1人の先生大変やったみたいね色々と
どうしようもない話だけど教訓にしないと浮かばれないわ
泣きながら戻されたらしい。子供は
はえー
この生き残った先生精神病んじゃったらしいね可哀想に
ただでさえあんな地震と津波経験したら誰でもきついのにね
きっつ
生きるも地獄とはこのことよ
津波てんでんこの精神なら何も間違ったことはしてないんだよなぁ
悲惨な出来事があった場所だが、綺麗な場所でもあった
- そーす太郎
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日本人ってヘタに地震なれしてしまってるし、自分が子供を守らないといけない教師の立場だったら、本当にこんな離れたところまで津波が来る可能性と余震で倒木などの不慮の事故が起きた場合の責任リスクを天秤にかけてその場に留まったかもな
たまたま近所を散歩してた一般人だったら山に逃げてたと思うけど
避難より議論だった40分…犠牲者多数の大川小
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東日本大震災で全校児童の約7割にあたる74人が死亡・行方不明 になった宮城県石巻市立大川小学校で、地震発生から児童らが津波に のまれるまでの詳細な状況が13日、市教委や助かった児童の保護者らへの取材で明らかになった。
学校側が、具体的な避難場所を決めていなかったことや、教諭らの危機意識の薄さから避難が遅れ、さらに避難先の判断も誤るなど、様々な〈ミスの連鎖〉が悲劇を招いた。
市教委の調査などによると、3月11日午後2時46分の地震発生時は、児童は下校中か、「帰りの会」の途中だった。校舎内の児童は 教師の指示で校庭に集合し、学年ごとに整列した。下校中の児童もほとんどが学校に戻った。
午後3時頃、点呼を終えると、教頭と数人の教諭が桜の木の下で、「山へ逃げるか」「この揺れでは木が倒れるので駄目だ」などと話し合っていた。学校の津波の際の避難マニュアルは避難場所について「高台」としていただけで、具体的な場所を記していなかった。ただ、津波被害を受けた周辺の5小中学校のうち、1校には避難マニュアルがなく、作成していた4校のうち1校は避難場所を「校庭」としていた。
一方、防災無線からは大津波警報が鳴り、避難を呼びかける声が響いていた。余震が続き、泣き出したり、嘔吐(おうと)したりする子もいた。保護者らが相次いで児童を迎えに訪れ、教諭は対応にも追われた。「ここって海岸沿いなの」と不安がる女子児童や、「死んでたまるか」と口にする男子児童もいて、騒然とした雰囲気になった。
当時6年生の女児を連れ帰った母親(44)によると、母親が担任に「大津波が来る」と慌てて伝えた際、担任は「お母さん、落ち着いてください」と話した。しかし、すぐに避難する様子はなく、「危機感がないようだった」という。暖を取るため、たき火をしようとした教諭もいたとの証言もあったが、市教委は確認できなかったとしている。
市教委の調査では、その後、市の広報車から「津波が松林を越えてきた。高台に避難してください」と呼びかける声が聞こえた。教諭と、この時も、集まった地域住民の間で「山へ逃げた方がいい」「山は崩れないのか」などのやり取りがあった。結局、約200メートル先の北上川堤防付近にあり、堤防とほぼ同じ高さ6~7メートルの高台に避難することになった。
避難を始めたのは地震から約40分後の午後3時25分頃。約10分後の午後3時37分頃、6年生を先頭に、学校の裏手から北上川沿 いの県道に出ようとしたところで波が襲い、高台ものまれた。
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【東日本大震災】防災センターの悲劇を知っていますか?まさかの原因
[3.11]巨大な津波が防潮堤を乗り越える岩手・釜石市【JNNアーカイブ 311あの日の記録】
Twitterまとめ
『100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて!』岩手県釜石市の津波記憶石に刻まれた言葉です。海の近くで揺れを感じたら、「多分大丈夫」「前回大丈夫だった」と思わず、すぐに高台に避難をするようにしてください。#東日本大震災から12年 pic.twitter.com/lTTgDsi2yQ
— 人が死なない防災 (@bosai_311) March 11, 2023東日本大震災の津波がもし渋谷に来ていたら、こんな感じになります。想像以上の高さではないでしょうか?皆さんも、10m以上の津波がどれほどの高さか想像してみてください。このことを知っているだけでも、いざというときの行動は変わるはずです。#東日本大震災から12年 #防災いまできること pic.twitter.com/ehQpuTiJ8f
— 人が死なない防災 (@bosai_311) March 11, 202312年前の有名な写真です。釜石市では、多くの小中学生が大人の指示を待たずに自分たちの判断で避難。奥に見えるのは海の方へと向かおうとしていた車ですが、避難する子どもを見て、車を乗り捨てて高台へと避難をはじめした。子どもの避難行動が、周囲の大人の命も救ったのです。 #東日本大震災から12年 pic.twitter.com/GyhgKqwSLa
— 人が死なない防災 (@bosai_311) March 11, 2023311東日本大震災忘れてはいけないこと、震災直後真っ先現地に駆けつけたのは台湾の救援隊ではなく、横田基地から出発した在日米空軍特殊部隊だ、仙台空港の復旧がないとどこの国の救援隊も入れない、また、トモダチ作戦では2万人以上の米軍が被災地へ、まさに日本真のトモダチだ🇯🇵🇺🇸 pic.twitter.com/TyYzWAbcRt
— formosa0127 (@jiro2yoko) March 10, 2023見たことありますか?このCM。12年前の今日。この広告が放映されました。でも、直後に震災。放送は中止に。だから、幻の映像になったんです。この作品には日本人の魅力と、喜びが詰まってる。だから、内容は明るいのに、涙と元気が出る。こんな風に、また、みんなが笑顔で1つになれる日がくるといいな pic.twitter.com/KIseuF6Pfr
— やっち|音声SNS国内1位 (@yaccijp) March 8, 2023